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学部4年の9月から始める就職活動

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はじめに

色々ありまして人生を考え直すことにしました.


と書きましたが,普段あまり悩まない性格なので,私をリアルで知る人間にとっては「またちょっと失敗しただけだろう」という印象しか与えないわけです.基本明るい人間というのはこういう時本当に損です.
10日ぐらいずっと一人で悩み続けていました.なんというか,「生まれて初めて悩んだ」という表現がぴったり当てはまる気がします.
自分が「あまり悩まない性格」だと思っていたのは単に,「いつの間やら思考停止させていた」状態なのであって,決して「常にプラス思考な人間ではない」ことを痛感しました.


私は現在,就職活動をしています.9月3日から始めて今日で11日が経過しましたが,世間一般的に考えるとどうしようもないくらい遅いスタートです.就活を経験したことがない人は感覚的に分かりづらいかもしれませんが,早い人では学部3年の10月頃に始める人もいるということです.つまり1年遅いわけですね.


そんなどうしようもない人間がどうしようもない状況の中,人生の大半を過ごす場所探しを始めたそのプロセスを,ここに記そうと考えています.

スペック

私のスペックです.

学校

筑波大学第一学群自然学類地球科学専攻2009年3月卒業予定

趣味

二胡,PC

特技

とくになし

TOEICスコア

受けたことがない

英語

あまりできない
会話は一人旅をしながら香港人と花火を見に行く程度のコミュニケーション能力しかなく,気の強いネイティブとは会話が弾まない程度の能力

中国語・ドイツ語

自分の名前ぐらいしか言えない

資格

就活に役立ちそうな資格は全くなし

バイト経験

コンビニ,ラーメン屋,郵便局,電化製品の小売り,ネットワークの構築,プラズマテレビ設置,警備員,サイト構築


どうしようもない感じですね.取り立てて学生時代にやったと自身を持って言えることは同人活動と学校のサークルぐらいというごくごく普通の学生です.


ところで,今年でネット12年目ですが,未だに「いんたーねっとこわいです」という特定の恐怖というのは拭いきれません.しかし自分という人間を知って貰う以上,セルフスペックを晒さない文章になんの説得力も見出せない気がしたので書きました.


もうちょっとだけ自分を知ってもらう為に続けさせて下さい.
高校時代は自転車とヒッチハイクでの旅と,登山部でずっと過ごしたような人間で,筑波大は国土地理院に近い環境と「地形学」の教室が理系分野にあった為,自己推薦・AO入試(筑波大ではAC入試という名称)で入学しました.
1:25,000地形図が好きで地形学を専攻しようと思っていたら講義の魅力に引き込まれて,よりサイエンス色の強い地質学を専攻していました.
卒業単位は足りていて,4年次は授業が全くなかったので,卒論のみに集中して雑誌に投稿出来るぐらいの完成度とし,さらには修論で英語雑誌に投稿し,ドクターでは学振を取りたいと思っていました.具体的なこと(こんな研究がやりたい)という明確すぎる目的意識はあまり持っておらず,どちらかというとPCと地質学の会合点みたいなものを探していた気がします.フィールド調査も好きだけど,PCがユーザーの生活をどんなふうに豊かにしていけるか考えるのはもっと好き.鉱物の薄片スケッチをフォトショップで簡単に表現できないか考えたりしてみましたが,やはり地質学(フィールドジオロジー)とPCはあまり積極的には結びつかないなあというのが正直な感想です.

おい.院試,落ちたしいぞ

親戚が九州大学で教壇に立っており,帰省の折り・テレビ出演の折りに見るその親戚の姿はまさに学術的であって,私は理学に興味を本格的に持った中学1年の時から,将来研究者になるものと思い込んでいました.大学に入ってからは,教職も取らず,就活も全くやらないまま過ごしてきました.


ターニングポイントとなった出来事は2008年8月19日,夏コミサークル参加3日後の院試でした.
研究者になる為には博士号を取得する必要があるわけで,その為に受けた院試ですが,はっきりと院に行って「この研究がしたい」などという目標はなく,院に行ってから研究テーマを決めようと考えていました.結論から言うと,この楽観視した考え方は命取りでした.


院試当日,英語や専門科目などは順当にこなしました.120分の試験時間があったのですが,45分ほど残して途中退出して,「楽勝楽勝」とか思っていました.実際問題のレベルはそれほど高くなく,初めて聞くような専門用語も出てこなかったので余裕ぶっこいていました.


その中に,「大学院に入って何がしたいかを書きなさい」という問いが全部で5問ほどあったのですが,「スマートに述べる」という理系的使命(自分だけかな?)の下,各問2行で済ませました.これが致命的な落とし穴です.


院試の終わった私は,合格発表を9/2に控え,卒論研究のサンプルを採りに,フィールド調査へ出掛けました.指導教官からメールが入っていたのは,4日後のことです.
帰筑した私を待っていたのは,思いがけない言葉でした.



おい.院試,落ちたらしいぞ.


最初は何のことか理解出来ませんでした.自分の中には院生として論文を書きまくっていう脳内院生生活が始まっていたのでしょう.初めて挫折らしい挫折を経験しました.

訪れた転機

合格発表よりも前に指導教官の先生から院試の結果を聞かせて頂くことが出来たわけですが,指導教官とじっくり話したのは,実は殆ど初めてだった気がします.昔から人に聞くよりもまずは自分でやってみる癖はあったのですが,それが最悪の形で出た結果です.


面接でも「あまりにも短いのではないか?」と総ツッコミを受けた「大学院に入って何がしたいか」という問いですが,私の中で研究がそんなに煮えたぎらなかった結果でしょうか.自分では,精一杯研究者になりたいかを述べたつもりでしたが,ロジックが破綻していました.


志望理由を問う問題ですが,ここ10年ほどずっと出続けている問題でした.過去問を解いていく上でそれは知っていたのですが,自分で考えた「真に行きたい理由」を言えなきゃ,院に行く意味はあまりないな,と考えていました.その為,私は私の院志望理由を,他の誰にも見せていません.2行にまとめて書きました.


どうやらこれがいけなかったとのこと.
他の人が血反吐を吐きながら「大学院に行きたい理由」を,解答用紙の裏まで使って書いているのにも関わらず,私は2行ですよ.


あまり考えたくないことですが,殆どの人が指導教官に予め「試験で書く内容」を打診し添削してもらい,それを暗記して確実に点を取ってくるそうです.志望理由という簡単なところで点を取れなかったのは,明らかに私の意志に明確な熱意がこもっていなかった点と,それから多少疑問は残りますが,対策をしていなかったことが問題でした.


院試という重要なイベント.多少信念に外れるところはあっても,なりふり構わず点を取った人が勝ちでした.


私は負けました.というか,戦ってなかったのかもしれません.院試ではなく自分と.
2月にもう一度試験は行われることになっていて,チャンスは残されているらしいですが,自分の考えるままの理由をぶつけて駄目だった以上,そのまま行っても駄目だなというのは分かりました.合格は出来るでしょうが,それでは20代前半という人生で最も貴重な2年間を使って行く意味は全くないでしょう.


先生には,「自分の力を過信している」というようなことを仰って頂きましたが,まさにその通りだと思います.自分の中に「院試を舐めていた」甘さもあったでしょうし,「自分自身の志望理由が通じないところに行きたくない」というへんちくりんな意地もありました.


中学校からこのかた一度も疑っていることのなかった──まずは疑えという自然科学的な学問をしていたものとしてはありえない話ですが──研究職という前提自体に疑問を投げかけてみました.勿論初めてのことです.
自己対話は苦手というか,今までやったことがなかったので,自分はどうしたいのか,どうすべきなのか,全く分かりません.


今まで自分は「地球の研究をしたい」のではなく,「研究者になりたい」というどうしようもなく単純な発想で生きてきたらしいです.そして,院に行く意味がないとのこと.
後日,指導教官の先生から聞いた話ですが,「大学は成績が良ければ通る.でも大学院は明確にやりたいことがなければ通さない」ということらしいです.


自分はPCを触っているのが好きで,そして地球科学も好きで学生時代を過ごしていました.でも好きっていうのはただの趣味ですよね.趣味は趣味であって生業ではない.
何故人は院に行くのだろう,という問いに対する答えは勿論「研究の為」ですが,自分の中で20代前半の2年間を投じる意義と明かな対価が見出せるかはこの時点で果てしなく不明になっていました.
ものすごく悩みました.3日間悩んでも答えが出てこないかった時点で全く逆のアプローチをとってみようと思いました.何か新しい知見が見出せるかもしれません.今まで全く考えてこなかったこと──社会に出るということ.


これが私の就職活動の発端です.

9月から始めた就職活動の実際

私が就職を始めたのは9月3日です.
9月から就職を始める人は実際殆どいないらしく,就活いつからやってますか?内定はもらってますか?と聞く面接官の質問に対して9月ですと答えたら「ええ?それって遅くないですか?」と即座に言われました.自分でも十分に遅いと思っていますが,今回の不合格で積極的に捉えられるようになったのならば,自分を考える良い機会,ターニングポイントであったと自分の中では捉えられるようになっていました.実際,不合格を知って就職活動に踏み切るまで,1週間以上投じたわけですが,それも含めてこの判断と「9月から始める就職」ということに負い目を感じたりはしていませんね.


学部4年の9月に初めて人生を考えた──と今まで並べたような理由を真っ直ぐ私が畳みかけると面接官の笑いが止まり,真剣に聞いてもらえたのが印象的でした.


ですが,一般的に言えば遅すぎることは間違いありません.私からすれば十分に早いですが,世間はそんなに待ってはくれませんし,勿論私が一番やりたい会社の面接やインターンはとっくの昔に締め切っていました.


院から就活への切り替えは早いに越したことはないです.


就職支援サイトのことも書いておきましょう.
リクナビやらなにやら沢山ありますが,私は友達から教えてもらった,「2ndステージ」と,「エンジャパン」に登録して,就活を始めることにしました.
2ndステージというサイトは,コンサルタントが一人一担当でついて,主に電話で就活をサポートするという内容.エンジャパンの就職サイトは自分で探さなければ説明会にこぎつけられないような,よくある支援サイトの体裁です.


2ndステージに登録して,ガイダンスに足を運んだり就活先を紹介してもらったりしているうちに,こんな受け身の姿勢ばかりを取っていては絶対に自分の就活が出来ないと思いました.
ガイダンスの内容が圧倒的に低レベルで,紹介される企業も伝えた志望と殆ど合致しない会社ばかりだったからですが,こんなぬるま湯に浸かっていては駄目だと直感しました.
四の五の言っている段階ではないことは重々分かっていたつもりですが,紹介型のサービスは退会,エンジャパンで「自分の就活」を始めることにしました.

9月から始めて現在まで

かなり遅いスタートでしたが,闇雲に説明会の日程を入れていったわけではありません.5年後,10年後の明確なビジョンが持てる会社の説明会しか入れていません.時間があったら自分の希望以外のインターンも体験すると,かなり違うとは思います.


説明会後に実際の面接に移りましたが,「5年後,10年後に自分が会社の中でどのようなことをしているだろうか」といったところを丹念に話していったつもりです.勿論面接で嘘をついて入ったとしても,それは自分の性格と会社とがマッチングしていないということなので,絶対にオススメしないです.自分の考えを曲げてこそ,初めて得られる世界というのも存在します.ですが,信念は曲げるべきではないでしょう.


この時期の就活全般に言える特徴だと思いますが,どの企業も驚くほど早く選考が進むことが多いです.それから,SEだったりWebのコンサルティングだったりといった職種でも文系の人でWebは「Wikipediaを見るくらいです」という人が多かったりするので,信念を持って自分を訴えかければ選考には進みやすかった印象があります.



就職活動を始めて,今日で11日が経ちました.エントリーした3社中,現在2社から内定を頂いており,残り1社からは最終選考の結果待ちという状態です.

就活記録(壱)を書き終えるにあたって

このエントリは私の就活記録の一部始終を記録するものです.
が,気付いたら私の学生生活の殆どをさらけ出すエントリになっていった気がします.


私のようなカウンターカルチャー世代に「院試失敗した.もう駄目だフリーターになろう/(^o^)\」などと思って欲しくなく,また,「おれみたいな駄目おたくでもやれるかも」,「9月からでもやれるんだ」ということを知って欲しいが為に書き始めたものです.
このまま就職出来るのか,確証はありませんが,それはそれで参考にして下さると嬉しいです.



私は自転車やヒッチハイクで旅をしながらブログ*1を書いていた高校時代のその頃から,あまり私的なことを含まない文章を書くなーと自己分析していたのですが,単純に多分自己対話を否定していた気がします.自分のプロフィールをさらけ出してこんな文を書き残すのも恥ずかしかったりおこがましかったりする気がします.
正直未だに自分の今後については悩みっぱなしです.内定は一応,取れるには取れましたが,業種を選ばなければ新卒全入の時代と言われている昨今,おれがやりたいのはこういうことなのだろうかと悩んでいます.


あまり考えたくないことですが,本当にやりたいことが大変クリアーに見つかった今,残念ながらその企業はインターン・新卒採用が終わってしまっているような状況です.
七転八倒しました.以前にちょっとでも就職に意識が向いていればと思いました.一年前のおれを呪いました.でも,結局決めるのは自分自身でした.そこには何物にも代えられない「リアル」な自分との対話がありました.
何故か,このエントリを綴りながら涙がとまりません.特に泣ける文章を書いているわけではないのですが,涙が止まりません.辛いです.自分との対話はラクではありません.辛いです.今まで勢いと感覚だけで生きてきた人間が,うまれてはじめて味わった挫折で,自分のやりたいことがやれないのではないかという不安に飲み込まれてしまいそうだからでしょうか.


ちょっと落ち着いて,別の話をします.


今日は,あるコンサルティング会社様の採用合宿から帰ってきました.私はそこの企業様ではSEOコンサルタント志望だったのですが,実際の営業業務と同じSEMコンサルティングをロールプレイしてきました.
最近は卒論と趣味だけの生活で,誰とも話さずに悶々としていたので,いろんな感性に触れ,久しぶりに議論をしました.
貴重な経験でした.


ロールプレイをする際,同じグループになったある早稲田の学生に言われたことですが,「君の場合は就職留年したほうがいいのかもしれない」と言われて,全くそうかもしれないと思いました.
「留年するぐらいだったら社会に出よう」と考えてた私ですが,何か欲が出てきた感じかもしれません.でも1日の間真剣に議論した仲間から言われたことなので,ここに来てまた迷い始めてきた段階です.せっかくならば本当に,本当にやりたいところにチャレンジしてみてもいいのかもしれません.ですが,今内定を頂いている会社も十分私には魅力的だったりします.そもそもそういった会社以外エントリーしていませんから.


これから自分がどうなるのか.全く想像がつきません.しかし,自分の力なんてこれっぽっちもないことを今回改めて知ったので,やっぱり当たって砕けるしかないかなという印象です.自分の力を過信せず,ちっぽけなものだと捉えること.我只足るを知るといったところかもしれません.


今までの就職活動で,人は「いつから始めたか」が重要なんじゃなく,「始めようと思った時に素の自分のまま,まずは動いてみたか」が重要だと思いました.9月だからといって遅すぎて爆発するしかない,などということはないのではないかと薄々ながら感じています.
これからどうなっていくのか分かりません.手応えらしい手応えは若干感じてはいますが,また良くない癖かなと思いました.



私の就活はまだまだ続きます.これからもこの続きも書いていこうと思っています.
過度な期待はしないで下さい.ですがもし宜しければ私のこれからを見ていて下さい.
たぶん,動けば変わる可能性は大きくなるはずだから.

*1:正確にはまだブログというものが存在しなかったのでhtmlベースだった