日々是餃子おかわり!

はてなダイアリーから引っ越してきました。はてなブログは住みやすいところだ

はてなキーワードが牽引する言語世界観

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はてなキーワードは確実に言語の最先端を突っ走っていると思う.
辞書的な意味はWikipediaでも調べられるし,もしかしたらそちらのほうが正確なのかもしれないが,世情反映速度とか小回りとかの問題がある.例えばWikipediaでは,ソースの曖昧なキーワードなんかはフルボッコにされる傾向がある.

独自研究:この記事や節の内容は独自研究にとどまっている恐れがあります。この恐れを解消するために Wikipedia:独自研究は載せない を確認の上で、ある情報の根拠だけではなく、解釈、評価、分析、総合の根拠となる出典を示してください。

Wikipedia - Template:独自研究

とか叩かれたりして,せっかくの編集人の製作意欲を削ぐ結果になっていたりするが,はてなダイアリーキーワードではそれがなく,無法地上帯.あるいは自由な製作活動の場がそこにあると言って良い.
独自研究だっていいじゃない,ヲタの中のヲタにしか通用しない?みたいな?そういうの.わくわくしませんか.

Wikipediaは財団の管轄であり,独自研究は載せるなという慎重な姿勢は叡智のクオリティを維持するためには大変重要なことでそれは分かる.でもやはりウィキペは言葉の語感・微妙なニュアンスとか,ちょっと必要じゃないような気もするけどネット上で盛んに交わされている最先端の言葉に敏感に反応できていないと私は思う.1600万点とか素直クールとかいった言葉はある程度の水準のブログ人を保とうとするには.そこそこ重要だったりするのだと思う.別に高次であるとか,程度がどうのというのではなく,ヲタクならヲタク水準を保つ為に,ということだ.
それらの言葉はWikipediaでは絶対に単独で乱立しようがない.独自研究とか叩かれるし,素直クールなんてまだ「ツンデレ」の中に補足説明的にしか記述が見られない(参考:Wikipedia - ツンデレ(cache)).そして新語が乱立しているのが現在のはてなダイアリーキーワードである.こういうしょうもないキーワードをユーザーが勝手に登録出来るのがはてなダイアリーの良さであり,まさに存在価値だと言って良いと思う.例えばオタクの常識なんて初めてみた時には感動すら覚えたし,こういうところに一般人から見れば間違った方向性と揶揄されがちだが,最新の言葉が脈々と誕生しているのは事実だ.
素直クールとかいった言葉はぼくみたいなライトヲタは近頃知ったぐらいだし,正直現場での使い方もいまいちわかっていない.それではこういった言葉を我々は(ヲタクは)どう使っていくべきなのか.それが後々の世界(といってもせいぜい数100年後)でどのように言葉が言葉として生きていくのであろうか,ということを考えてみる.


私の実家は大分県日田市という九州の山奥である.
言語学の先生に「ぼく日田市出身ですが」と言うと,「これは・・・!」みたいな奇異な目で見られるが,それは日田市が「言葉の墓場」であることに由来している.という話を昔聞いたのでそのまま話します.

日本に共通語が出来た時代,都(京都あたり)から運ばれてくる言葉は当時は最も最先端の言葉であり,大変ナウい言葉だった.それを田舎者はこぞって取り入れ,自分のナウさを主張していた.
九州の山奥,しかも盆地となれば情報の流出というのはなかなか起こりにくく,そこに情報は蓄積される一方である.政権とかそういうものが変わり,共通語が変わってからも日田市にはみやこことばが残り続けた.そういう意味で「言葉の墓場」と呼ばれている.

こういう事情があり,古語で「よだけし(意:億劫だ)」という言葉がたとえば大分で「よだきい」とそのままの形で残り,生活の中に定着してしまったと.そういうことらしい.

よだきい【弥猛(よだけ)し】物憂い、億劫だ

豊後林 - あれも古語、これも古語

「よだきい」なんて言う言葉は大分県の中ではポピュラーな言葉だが,それが使われていた時代というのが主に平安時代であり,やっぱり「言葉の墓場」なのだよ,と中学の国語の先生が切々と語っていた.


こういった言葉の地方差というものが現代にも起こるのかというと,結論から言えば絶対に起こらない.ここで私はWebの中で平易に使われている言葉(最先端だと思っている)を対象としているわけで,コギャルとかそういうのはよく分からないし取り立てて今は興味もない.

Webを中心に言葉が伝播していく過程というのは考えてみれば無機的なものであり,それが瞬時におこることによって大変風化しやすいものであると考えられる.さらに変化が激しく,どこかに蓄積しないとすぐに忘れ去られてしまう.
私の脳内ではWebを中心とする言葉のフロンティアラインというものが出来上がっていて,その中心にはてなダイアリーキーワードWikipediaが軸としてお互いを補完しつつ言葉の最先端を引っ張っていく,みたいなWebの構図を若干感じていた.知の蓄積というものが上手く機能しあっているWeb社会みたいなそういうの.ですが,最近になってそれががらがらと崩壊していく音を聞いてしまった.


例えば数年後に我々の間で使われている言葉を一般の方々が知らないとして,「彼らは言葉の墓場の渦中にいる」などと言っても所詮ヲタクはヲタク,共通語なんて最もメジャーな言語が共通語として認識されているわけですから,ヲタクを脳内排除しようとするこの現代に於いては我々は圧倒的マイノリティであるわけです.
いくら声高に「ツンデレっていいよね!!」とか叫んでも,一般にそれは理解されないし,理解してくれようともしないだろう.
例えば我々が最先端だと思って使っている言葉こそ,実は言葉のフロンティアなんて飾りでしかなく,実は孤立化の一途を辿っていた,なんてことは往々にしてあるわけであり,実はそれがもう始まってしまっているのかもしれない.

つまり,むしろ私どものようなヲタクの中で使われている言葉こそが墓場状態に限りなく近い,ということに気付き,最近愕然としました.


外的な刺激を享受しやすいこのWeb社会だからこそ,言葉の変容というものは自分が理解できないスピードで進んでいくものだし,古い体質はそれを認める寛容力を身につけなければならないと熱烈に思う.ちゃねらーの間で使われている言葉とかそういったものが別に次の世界のマジョリティを高らかに宣言出来るとはあまり考えがたい話であるが,そういったものも悪くはない,と思いました.
で,別に現実世界で「ジュース買いに行ってくるお( ^ω^)」なんて厨じみた発言がこれから主流となっていくなんて全然思わないわけですが,やっぱり私が40になるうちにまた日本語は次々と変わっていく.そしてその変容を見守るというかそれこそヲチするのが楽しみで楽しみでたまらないよ・・・!という話でした.